差別感情について

反差別を標榜する人が、レイシストの屁理屈と似た理屈でオタク差別の正当化を図ってイチャイチャしてた。

それを見てゲッソリしたのが切っ掛けでつらつらとツイートしたのをメモ。

私自身、レイシストなんだろうという自覚はあるんだけど、レイシストの自覚の無いレイシストはもう見てられないというか、レイシズムの厄介な所は自覚が無い所なのかもしれないわね。

最近、反差別を標榜しつつ差別的言説をバリバリ振り回してるリベラルもどきが多すぎない?

なんで私はレイシストの自覚を持ちつつ、それを正さずに居られるかというと、これは理屈ではなく感情の問題だと理解してるからなの。いくら座学したところで、知らないものに対する恐怖心からは逃れられない。こうした感情を「無かったこと」にするとどうやっても屈折するよ。

みんなもレイシストになって、己のレイシズムと向き合えば良いのにと思ってる。差別性に自覚があればこそ、差別対象に不都合の無いような振る舞いが出来るんじゃないかなと。逆差別を生むのは反レイシストじゃない。そいつもまたレイシストなだけなんだ。自覚が無いだけで。

ニュートラルを目指すことで結果的に逆方向に見えるのが反差別。差別者を差別して意図的に逆方向に向けるのは向きが違うだけの差別者だよね。この二者は似ているようでいて、後者はやたら攻撃的な辺りから見分けはつくと思う。

この不幸はレイシストに対するレイシズムを自覚し、レイシズムに許容・寛容を示すことでしか解決しないと思う。というか、不寛容なまま反レイシストを名乗ってもレイシストの鏡映しになるだけなのよね。こう、表面だけなぞっていく弊害って大きいと思うわ。

 

こういう構造に気付いて言及出来る左の旦那様が、数は少なくとも存在するからこそ私も気付ける訳で。そういう方がもっと居れば良いのになーと思うモノの、ネトウヨを鏡映しにしただけのサヨクが圧倒的に多い上、母数も少ないから絶望的なのよね…

いやはや、難しいもんです。